初めての海外生活


“speak”で自信に

私の初めての海外生活は父親が商社に勤めていた為、家族で住んだニューヨークでした。まず1959年に1歳でニューヨークに行った時は、たった1年ほどで、まだ赤ちゃんのまま帰国しましたので何も覚えていません。 私が記憶として残っているのは10歳からの6年間、再度父親の駐在の為家族でニューヨークに住んだ時です。

緊張の中、初めて小学校のスクールバスに乗る時に同じバスストップで待っていた近所の女の子から Can you speak English?と聞かれました。初めての地元の子との英会話です。その時、日本での英会話教室が役立ちspeakがぱっと理解できYesと回答できました!しかし以降の会話が続かずにいると、その女の子が  You say "a little,,, I can speak English a little"、とゆっくり優しく教えてくれました。なんとかこれでも英会話のやりとりになっていました。 英会話教室、親に感謝です。だけど、2歳年下の弟は、その朝、家を出てバスストップに行く時間になると、行きたくないとダイニングテーブルの脚にしがみついて大泣きして大変でした。彼はまだ低学年だったし、日本では英会話を習っていなかったので、その時の緊張は自分では処理する事ができない大変なものだったと思います。

 

“know"が色々な経験のルーツ

渡米した1969年頃はアメリカでは空手が流行っていて、早速友人が Do you know karate? と聞いてきました。 “know” ですので、知っている?との質問と理解して、空手はやった事は無いけど如何なるものかは知っていたので Yes! と答えると、友人が興奮気味にクラス全員に Hey, Ken knows karate! と大声で言い周り初めてではありませんか(Kenは私の米国での名前)。あれ、そんなにすごい事かなと思っていましたが、その後直ぐに“know” には 知っている との意味の他に 精通している・操る事ができる との意味もあると理解した時には既に学校中に「空手の本場の日本から来た空手の達人Ken」のうわさが広まってしまった後でした。同じころ、運動場に居た時、鬼ごっこ(英語でtag)をしていた別のグループの子が勢い余って私にぶつかってしまった時に、傍にいた私の友人がそのぶつかってきた子に  Now, you say sorry to Ken!  If do don't, he will give you a karate chop, because he knows karate!  (Ken に謝りなさい。もし謝らないとKen は空手を知っているのであんたに空手チョップしちゃうぞ!)と言うと、その子は本気で怖がって、その場にひれ伏して I am sorryと言うではありませんか! こんな感じでしたので、その後もずーと、ご免、本当は出来ない、とはどうしても言えないままいますと、今度は実際に空手を習っている茶帯の子が現れ、お前のところに形を見せてくれ、と言ってきたのです。いやいや、むやみやたらに技は見せるものではない、それがブシドー!などと言いつつ、その場はなんとかごませました。しかし、その後も、このままではヤバイと思っていましたら、1970年代に入り米国でもブルース・リーが流行った時に、その欧米に通じるアジア文化のヒーローに感化され、この際習ってしまおう!とようやく思い立ち、友人と武道系道場を数件見学後、2番街にあった元全米チャンピオンが指導するテッコンドー道場に入門しました。以降40代まで続いた私の武道遍歴のルーツは、実はあの “know” にあったのです。

 


 

初めての海外駐在 (ハンブルク)

即席手話のミットネーメン

こんな経歴を持っていましたので、関西のメーカーの社員となり英語圏業務を希望していた私ですが、縁あり初めての海外駐在はドイツのハンブルクでした。上司からその駐在話を聞いた時、希望していた英語圏では無かったので、えードイツですかぁ と言うと、大丈夫!ドイツは欧州本部で公用語は英語、商圏は汎欧州、業務はBtoB(新規事業開拓)なので商談はほぼ全て英語、との事でしたので少し時間をいただいた後に受諾の回答をしました。

ドイツでは実際に英語だけで業務はできましたが、日常生活はドイツ語で苦労しました。渡航してまだ数週間の頃、レストランからお持ち帰り(米語で take out)をしようとしたのですが、その英語を店主が理解できず、最終的に即席手話(左手は家に見立て、右の人差し指と中指で両足で歩く動作をして左手に向けて移動)をしました。すると店主が mitnehmen (ミットネーメン=お持ちかえりの意)!と言って理解してくれました。ミットネーメンした料理は美味しかったです。