初めての海外駐在
篠原 晃一
私は1981年に三洋電機の海外部門である三洋電機貿易に入社し、トルコ、レバノン、シリア、ヨルダンを担当しました。これらの国々は、それほど大きな市場ではないので新人のOJTとしてはピッタリの市場でした。
イズミールってどんなところ?
1986年に、担当国の一つであるトルコのイズミール市に駐在することになりました。その頃のイズミール市は、人口200万人の大都市とはいえ、イスラム教のモスクと中東のスーク(市場)が、近代的なビルの横に建っているような風情のある港町でした。そこで、5年半の駐在生活をおくることになりましたが、その間に結婚し子供も生まれて、家族で生活しましたので色々な経験をすることになりました。
▲毎週日曜日に開催される青空市場です。ここで食料品の買い物をします。
▲イズミール近郊のリゾートホテルです。週末はここで良く過ごしました。
どちらが豊か?
イズミール市は、夏になると連日40度を超える日が続きます。地元の人たちは、酷暑を避けるため郊外に別荘を所有し、6月から8月の夏休み期間中、家族は別荘で過ごし、夫は市内で単身生活をして、週末は別荘で家族と一緒に過ごす生活を送っていました。私も酷暑を避けるため、別荘は買えないまでも、週末家族を連れて海辺のホテルや休暇村で過ごすようになりました。そこではトルコ人だけでなく、フランスやドイツなどヨーロッパからも大勢の人々が滞在していました。彼らはまず生活をエンジョイすることを重要視して、仕事は生活の糧をえるためとの考えが徹底しているように思いました。フルーツや野菜など食物も安く、豊富に手に入り、皆豊かな生活を送っているようでした。その当時、日本は先進国、トルコは開発途上国と考えられていましたが、実際にはどちらが豊なのだろうと考えさせられました。
▲エフェソス遺跡の一コマです。トルコはローマ時代の遺跡群が豊富で週末家族で良く行きました。
▲これも週末ですが、友人家族と郊外にピクニックに行った時の写真です。近くにいたトルコ人家族一緒に写真を撮りました。トルコ人は写真が好きなので、後日写真を郵送しました。
トルコ人は親切?
また、トルコ人は一般的にとても親切で、人懐こい人たちです。ある週末の晩、友人2~3名と同行して別の日本人駐在員のアパートにお邪魔をして、飲んで食べて深夜まで楽しく過ごしました。深夜2時頃に帰宅することになったのですが、友人宅のアパートのエレベーターが旧式のためか、1階できちんと停止せず、我々訪問組3名は深夜エレベーターに閉じ込められてしまいました。これはまずいことになった、このままでは朝まで帰れないと、酔いもいっぺんで冷め、大声で助けを求めました。すると5分も経ったころでしょうか、消防署のレスキュー隊のような若者達が数名駆けつけてくれて、エレベーターのドアをこじ開けて、我々をエレベーターから救出してくれました。その後、警察の事情聴取などもなく、我々は彼らに感謝して帰宅できました。翌週、トルコの代理店のマネージャーにこの話を披露し、トルコの人たちは本当に優しいと話しましたが、彼曰く、「君たち外国人居住者は常に秘密警察に見張られていて、何かあればすぐ関係機関に連絡が伝わるようになっている。」「今回は幸運だったね。」と言われ、本当にそうなのか?と背中を冷汗が流れました。
トルコ駐在は異文化体験として私や家族に大きな影響を与えたように思います。今でもテレビでトルコの紀行番組があれば家族で見て楽しんでいます。